ミドリシジミは
埼玉県のシンボルとして、1991年11月14日の県民の日に「県の蝶」に指定されました。 花、樹木、鳥が都道府県のシンボルになっている例は多く、ほ乳類の例も 見受けられますが、昆虫を県のシンボルに指定したのは埼玉県が初めてです。 制定に至るまでのいきさつは、当会現会長の江村により、 昆虫と自然27(2)1992に詳しく述べられていますので興味のある方はそちらを 参照していただくとして、「県の蝶」が選ばれるまでに当会がどのように 関与したかの概略を紹介します。 このように「県の蝶」選定に当談話会の活動が大きく寄与できたことは 当会の歴史をかざる大きな誇りです。 |
【序幕】埼玉昆虫談話会会員の意識の高まりと会としての決定まで
1986年8月5日、荒川総合調査(事務局:埼玉県県民部県史編さん室)の 自然関係担当者による座談会「荒川の生態系」において、 荒川河川敷のハンノキ林の貴重性が指摘されました。 当時、当会代表であった、故市川和夫は、ミドリシジミを県の蝶にして 大切にしていけば結果的にハンノキ林を守れると提言したことを受けて、 当会でも「県の蝶」あるいは「県の甲虫」など、埼玉県を代表する昆虫についての 議論が交わされるようになり会員の間で「県の蝶」制定への意識が高まってきました。 その結果、1988年4月3日に開催された当会年次総会の席上で、 談話会としてミドリシジミを「県の蝶」とすることを正式に決定しました。 この結果は県の公聴広報課と自然保護課に報告されました。 |
【第1幕】ミドリシジミを広く県民に知ってもらう活動の推進
1988年4月6日、当会の市川代表が畑知事(当時)にミドリシジミを「県の蝶」に 指定するよう提案を行いました。知事からは「関係部局に検討するよう指示する。 県民の意識の高まりなど、談話会の今後の活動に期待したい」とのコメントをいただきました。 同年5月から、県環境部自然保護課が検討に入り、当会に対して 「県民に広く昆虫の存在意識、特にミドリシジミについて説明する社会的任務が あると思われるので、観察会やシンポジウムをやってもらいたい」との提案が示されました。 準備期間の後、翌1989年の当会総会で、「ミドリシジミ委員会」を設置し 「県民に広く本種の存在と生息する意義を普及し、あわせて、生息状況の実態と 保全対策に関する技術的知識の集積を行うため」の活動が始まりました。 その中のイベントのひとつであった「郷土の蝶・ミドリシジミを見る集い」は 今日まで続いています。 |
【第2幕】さいたま120年記念事業としての「県の蝶・県の魚」の決定
1990年5月、「さいたま120年記念事業」としての「県の蝶・県の魚の指定」が 正式に決定されました。 翌年5月27日、県環境部自然保護課は学識経験者を交えた選定準備会を開催し、 「県の蝶」候補種として、 ミドリシジミ、 ミヤマカラスアゲハ、 ゴマダラチョウ、 ベニシジミ、 ウスバシロチョウ の5種を決定、県民投票を行った上でその結果を参考に「県の蝶・県の魚」 選定委員会による決定がなされることが決まりました。 投票は「県の魚」と同時に、同年7月15日から8月末の間に一般県民投票、 夏休み明けの9月2日から10日の間に県内の公立小中学校を対象に学校投票が 実施されました。 この間の当会をあげてのミドリシジミ売り込みの効果もあり、 わがミドリシジミはトップのミヤマカラスアゲハと僅かの差で2着に入る結果と なりました。 この2種が選定委員会で慎重に検討された結果、ミドリシジミの 「本県平野部の原風景を代表するハンノキ林に生息し、今後の自然保護の取り組み の中で、稀少な埼玉の原風景を保全していく指標としての価値」が高く評価され、 11月8日、選定委員会の村本達郎会長(埼玉大学名誉教授)から知事にミドリシジミを 県の蝶」とする選定結果が報告され、11月14日の県民の日に「 県の魚・ムサシトミヨ」と並んで発表されました。 |